あとどれだけ楽しくすごせるか

迷える第2次ベビーブーム世代の仲間たちと

何より心が貧しかった

実の兄と、妻に保証人になってもらっていた融資がありました。

破産をすると当然、保証人に回ります。しかしこれは、後からでも返せます。
こんな言い方は良くないかもしれませんが、利息も付かない。
もちろん感謝の気持ちはずぅ~っとあります。その分もしっかりと礼を尽くして返して行く。そして、また信じてもらえるように。


お金を作らなければ、○○の支払いをしなくては・・・


頭の中はコレで埋め尽くされていた状態でしたが、破産手続きが進むにつれ、請求書や督促状が届かなくなる。銀行からの電話も無くなる。


夢見ていた現実に近づいている感じ・・・っと言うと言い過ぎと言うか、なんか違うのですが、解放されて行く!そんな感じになりました。


同時に、仕事への意欲と言いますか、とにかく気持ちが前向きになって行く!そんな感じです。


いろんなモノに興味が湧きました。本も読めるようになりました。


家族とも、仲が悪かったわけでは無いのですが、以前より仲良く、近く感じるようになりました。


ただ、勤め人なので拘束時間があり、その部分の、自分で段取りを組んで、時間を動かす。みたいな調整は出来なくなりましたが、こんなものは どおってことがない。


勉強できる。知らなかったことを知る。面白いですねぇ!!


しかも、何か興味を引くものを見つけると、内容、やり方等、そのほとんどはスマホで調べられる。


破産した状態に違いはないのですが、その事実を抱えたうえで、これからどんな事しようかと、本当に楽しみなんです。


これも自己破産をしたから、たどり着けたところなのだと思います。


とても多くの思い込みで生きていました。

とても狭い視野で暮らしていました。

心がとても貧しかったっと 今はそんな風に思います

 

ここまで寄り添い、支えてくれた人たちに本当に

 

感謝です。

 

 

自己破産

私が自己破産をしようと決断した理由ですが、


店を辞めたら、単純に返済が出来ない。これは大きな理由の一つです。

 

月々40万程度の返済がありましたので、普通に務めて、バイトなんかもしたとしても、生活しながらこの額の返済は不可能と思ったからです。

さらに、何度か家賃を待ってもらった分と、税金の滞納なんかもあったので、決断した時は本当に”解放される”と思ったものです。


ちなみに、一応書いておきますが、税金は基本、破産をしたからといて、放棄はしてくれません。


あと、なんで特に大騒ぎになることなく、待ってくれていたかと言うと、必ず、税務署に連絡を入れていました、2~3か月に一度は必ず。担当さんは、コレが大事と言っていました。一番不味いのは、連絡を入れないでシカトしていることだそうです。シカトを続けられ、もうダメだとなると、いきなり強制なんとかになるケースもあって、そうなったら、話しもクソも無くなってしまうと


あまり大きな声では言えませんが、私は破産をして、国税とは、今このような状況になっていると、市民税課に打ち明け、相談を繰り返したところ、金額は大きく違いますが、市民税を放棄してもらえたのです。


そして、ここでもハッキリと書いておかなければならないのですが、

 

家賃・税金の滞納はいけないことで、恥ずかしいことです。
法的処置が施されても当然なことで、言い訳などできません。上記したような事実は、私のだらしなさが招いたものに他なりません。


私が悪い!  ただそれだけです。


ただ、ココに書いておきたいのは、そんな風になってしまったとしても、まだ出来ることがある。相談出来るとこがある。です


後回しにしない。放っておかない。逃げない。


招いてしまった事実は事実。消すことは出来ません。自分で招いたことなので、自分で終わらせなければなりません。


なので書きました。破産も良いことでは無いとも思いますが、日本人である以上、国から認められている正式な制度です。

https://www.courts.go.jp/morioka/vc-files/morioka/file/20303001.pdf

(勤め人か自営業か、と事業の規模でも費用は大きく変わります)


破産を進めるつもりもありませんが、各方面に相談するなど、何か出来ることはあるってしって頂ければと思ったからです。


この、毎日頭から消えない 払わなければ、お金を作らなければ・・・


コレから解放された時


社会的信用?恥ずかしい?ブラックリスト


毎日の気持ちの楽さに勝るものは無いという

 

感じになりました。


まぁ、恥ずかしい話に違いはないんですけど(汗

そのプライドたぶん要りません

そして私は、自分の仕事を潰し、同時に自己破産をしました。


これで、社会的信用もなくなりました。


またこの社会的信用ってのが、私レベルで生きているのに、そんなに必要なのかと、今は思っています。


確かにクレジットカードとかが使えないといった不便な面もありますが、今や実体としてのお金のあり方も変わって来ていて、そこまで困ることはありません。


私が思い込んでいた社会的信用は、つまり、お金が借りられない!っと言うことだけでした。自営業を営んでいた時はとても困ったかもしれませんが、今は借りる必要もないので特に困っていません。


前の記事で少し触れましたが、今私は、奥さん方の親戚の持ち家を借りて、そこに家族と暮らしています。なので子どもたちとは家を建てたいねぇなんて話になっていたのですが、その辺が今ちょっと厳しくなってしまったところはありますが、借りずにしっかり稼げばムリな話しではないと考えています。もちろんそんなキャッシュを用意するのは相当大変だと思いますがムリじゃない


平日はプラント住み込みなので、家族には悪いが自分の時間もたっぷりある。今はネットでバイトも出来る。


そうそう、私たち世代にまだ、多くいらっしゃると勝手に思うのが、先輩後輩社会。じつは私はこれには賛成派なのですが、内容が少し違う。


後輩に頭を下げて教えてもらうわけには行かない!っとかたくなに先輩を貫いている先輩。

この状態はとてもキケン。何がっと言われたら、これからがキケンです。


物心着いた時からネットがある彼ら、最近になってスマホをがんばってる私たち世代。この先につなげていく今の生き方が全く違うのは火を見るより明らかです。

そして その生き方は、先輩に教えてもらうことが出来ない、だって私たちの先輩ほとんどは、私たちと同じか、私たち以上に戸惑い、困っている人だと思うから


今の上手な生き方を教えてもらえるのは、後輩、年下に教えてもらうのが一番なのです。

そこに古い先輩イズムが邪魔をしたら、どんどん生きにくくなって行く。繰り返しておきますが、私は、先輩後輩関係は好きです。好きな先輩には素直に甘えられるし、後輩の前では先輩らしく頼ってもらえるような自分でいられるように努力も出来るしそれが自分の成長にもなる。なので気持ちのイイ先輩後輩関係は大好きです。

 

ただ、そこにいらないプライドが絡むと進化を妨げる。

 

そのプライド

人を守るプライド・自分を守る(恥と思っていることから)プライド  どっち?

自分時間

今日からは、自営業で悩んでいる方やちょっとやる気が薄れている方。はたまた未来に少し不安を感じている方へ

 

特に今は、新型コロナで半強制的に未来を奪われそうになっている方も多くいらっしゃるのでは無いでしょうか。

 

私の勝手な想像なのですが、第2次ベビーブーム世代の方、私もそうなのですが、このあたりが一番変化を求められ、またその変化に時には苦しめられ、世の中便利になった反面、生きにくさも感じているのではないでしょうか。


そんな風に感じていらっしゃる方に、正解では決して無いと思いますが、アリかナシかで言ったら、ギリ無し寄りのアリだと思ている私の経験も、一つの選択肢に入れて頂ければ、ちょっと楽になるかもしれません。


私はコロナでは無く、自分の蒔いた種により、強制的に普通の生活を奪われる?ことになりました。

当然普通に出来ていたことも出来ません。

そして何より、自分が生きていくうえで、絶対にしなくてはならないっと思っていたことも出来ません。

この「絶対しなきゃいけないこと」ここでは仕事での事と、自分はこうありたい的な部分に絞っての話しになりますが


結論から言うと、約2週間、上記したようなことが一切出来ませんでしたが、特に何も変わりませんでした。そう 全くの思い込みでした。


今となっては、自分はもちろん、私以外の方にも、何の不利益もありませんでした。


この年になると、そんな思い込みっと言うか、自分で勝手に背負い込んでいるモノやコトなんかが結構あったりしませんか


もちろん人付き合いも


強制的に行動は出来なくなって、なんとなく自分の思い込みに気づき、それからこれまでの人付き合いも考え、少しづつ連絡をしなくして、今では当時の人付き合いは95%ぐらいは無くなりました。現在の仕事関係の人以外は、ほぼ無くなりました。

 

すると、今自分の時間はたっぷりあって、こんなブログを書くことも出来ています。

償い

そんなに読まれてはいないのですが、時々何名かの方にお読み頂いている様なので、改めてちゃんと書いておかなければならないと思いますので書いておきます。


飲酒運手はとても重い犯罪だと思っています。

その昔、と言っても20年から30年ほど前ですか、私の住む地域では、飲酒運転はさほど罪に問われませんでした。

警官に道路で停められて、酒を呑んでいることがわかっても、気を付けて帰るように っと言われて済んだぐらいです。

今回の逮捕となるまで、わたし自身、そんな流れを受けてか、少し軽視していた所があったのだと思います。

今回、幸いにも、物も壊さない、人も傷つけないで済んだので、しっかり反省して、ごく近い身内に対して償って行くと言うことで、言い方が適切かわかりませんが、それほど大きな騒ぎになることはありませんでした。

しかし、一歩間違えれば大惨事になっていたでしょう。だって、車を運転したこともはっきり思い出せない、もちろん通った道なんて全く分からない。

警察が道にある防犯カメラを端から調べてくれて、お前はココを通って現場まで行ったと教えられたぐらいです。

その道中人を傷つけていてもまったくおかしくない。

そんなことになったら傷つけてしまった方とそのご家族はもちろん、自分の家族、親族、みんなを巻き込んで、みんなのこの先の人生を変えてしまう。本当にそれほどの犯罪だと思います。

ですので、はっきりと、

 

飲酒運転は絶対にしてはいけない。非常に重い犯罪です。


わたし自身、今もこれからも決して忘れない事実と反省です。


そして時が経ち、生活が大きく変わりました。
不謹慎かもしれませんが、悪いことばかりではなく好転している所も多くあります。

私の経験で、少し悩みを抱えている方に勇気と希望を持ってもらえるんじゃないかっと思っています。


だって、逮捕されて、新聞に掲載されて、19年生業にしてきた仕事を潰して、自己破産です。

 

悩みを抱えている方も、ここまで落っこちている方はそうはいらっしゃらないのではと思います。

私は決して消すことのできない十字架を背負いましたが、今をそれなりに充実させて頂いております。

 

きっと前には希望がある。

 

そして、さらけ出して行くことで償って行けたらと思っております。


今日も長々失礼いたしました。ありがとうございました。

帰宅

2017年(平成29)7月25日(火)

 

まずはじめに、奥さんの実家へ向かった。

私は奥さん方の親戚の持ち家を借りていたので、家から奥さんの実家はとても近い。

歩きながら、洋くんや店のスタッフなど、連絡を入れたかったが、充電が無い 連絡は諦めて明日にしよう。

歩いていると、取引をしていたUSEN放送の営業にバッタリ会う。いきなりちょっと恥ずかしい。

「マスターどこまで?乗っけてきますよ!」断る理由も見つからず、乗せてもらうことにした。

ざっくりいきさつを話し、契約終了のお願いもした。

「そーだったんですねぇ~」っと大方知っていただろうが、気を使ってくれた。

いよいよ奥さんの実家だ


お母さんが見えた。「おかあさん、みっとも無いことしてしまってすいません」もう平謝りだ。

「大丈夫だった?」っと何と言っていいのかわからない様子だった。

同じ調子で、お父様にも詫びを入れ、今日は長居は無用だと感じたので、「今出て来たばっかりだから、また改めて来ます」っと言って深々と謝って、家に向かった。


長男がゲームをしていた。


「ただいま」

「お帰りっ」っと少し驚いたようだが、笑てくれた。


その後、長女、奥さんと次女と帰って来たが、約束していて出来なかったことを謝ったりしたのだが、確信に触れるようなこともどうでもいいようなことも、ほぼ会話にはならなかった。

飯食って、風呂に入って、家の天井を眺めて寝た。


こうして、飲酒運転という、絶対にしてはいけない行為をして、逮捕、起訴された大ばか者が、現実に戻ってきた。

保釈

2017年(平成29)7月25日(火)

 

何の前触れも無く電気がつく、いつもの朝

布団をたたみ、片付ける。
朝飯を食って、朝の洗面を終え、「68番身体検査はじめっ!」そして本と このノートを取りに行く。
 
前にも書いたが、本の種類は少ない、そんな中でも「ドンケツ」っというヤクザもののマンガにハマった。

はじめは、こんな所にヤクザのマンガって・・・っと思ったが面白かった。


私はと言うと、昨日とは打って変わってすっかり落ち着いている。明日帰れる。決定ではないのだが、なんかそう思えた。なのでこの時間の流れ方もコレが最後かぁ・・・そんな感じで余裕でもあり、むしろ明日からのことを思って不安になっている気もする。

奥さんは怒っているのは間違いないのだが、子どもたちに何て言おう。

奥さん方のお父様、お母様にも詫びを入れに行かなければ・・・

あとは・・・もろもろ恥ずかしいなぁ

夕方になる。夕飯の前にベテラン刑事さんが来て、若いのを呼んで、奥でゴソゴソしている。

若い看守が部屋の前にジャラジャラ鍵を持って来る。「68番出て」部屋を出されてベテランの所へ連れて行かれた


「自由の身だ」


絵にかいたような事を言われたのだが


「えっ明日じゃないの?」っと思わず聞いてしまった。

「今日帰ってい」そう言って、はじめに所持品を預かられた時に作った所持品リストと照らし合わせながら、持ち物を返してくれた。

そして、着替え仲良くなった人にあいさつに行こうとしたら、もうそっちへは行ってはいけなっと止められた。ルールのようだ、出口に向かい際に少しだけ牢屋が見える、そこで頭を下げながら手を振った。


そして、交通課に行くように言われ、交通課に行き書類をもらって外にでた。


いきなりで、バタバタとここまで来たせいもあって、警察署を出る時、本当に出てもいいのか?って気持ちになった。


午後5時過ぎの曇り空だった。やっぱりジメっと暑い。


荷物を返してもらったのでお金は持っていたのだが、タクシーに乗る気になれず、歩いていくことに決めた。

30分ぐらいで着くだろう・・・そんな風に思って、空を見上げた。